おはよう御座います。アクウォーです。
コロナ禍もだいぶ落ち着いて公園に出向くとだいぶ子供達が遊んでいます。
外で遊ぶ場所や時間が少なくなってきた昨今。外遊びをなくしたことによる将来の弊害とはどんな物があるのでしょうか。
遊びによって何が得られるのか?
・ごっこ遊び…創造性・柔軟性が育つ
・スポーツなどのゲーム…身体能力・社会性を育てる
・外遊び…生きる方法を学ぶ
(伸芽’sクラブより引用、https://www.shinga-s-club.jp/)
外遊びやテレビゲーム以外の遊びがなんか良いんだろう、という漠然とした見解はあると思いますが、なぜそれが必要なのかは曖昧だと思います。
コロナ禍に真面目に不要不急の外出を自粛したご家庭なら、ほんのちょっとだけ彼らの遊びの必要性は感じ取れたかもしれません。
家にずっといると下手すると子供でもうつ病になりかねません。
大人よりも子供のほうが疲弊するのが早く、遊びのない幼少時代を長く過ごしてしまうと抜け殻のように無の状態になってしまいます。
人間は産まれてからすぐに生きようとしますし、何かを学ぼうとします。
卓上の勉強だけが学びではないです。多少、卓上の学習以外にも土日にどこか出向いたりキャンプに行ったりと自然と触れ合ったり外遊びがあるご家庭もあるかもしれませんが、それだと不十分です。同世代の子たちとの学校以外の遊びも非常に重要です。
上記のスキルを身につけるためには思う存分(外)遊びをさせばなりません。「宿題をしなさい」というよりもむしろ「外で遊びなさい」の方が言ってほしいくらいです。
外遊びできない世の中になってしまった
香港や北京のように超過密・超高層ビル群による公園や公開空地の少なさはなかったとしても、日本でもそれに近い外遊びが出来る場所の少なさには失望しています。私はど田舎出身なので、幼少時代は沢山外遊び出来ました。大人になってから都市部に引っ越ししてきたので、根っこは田舎もんです。
自然と「生きる力」は育っていたのかもしれません。
しかし、東京・大阪でなくても、都道府県どこの地域でも都市化が進んでおり、子供達の放課後のスケジュールも塾や習い事で詰め込まれているのはあまり変わりはありません。
よって都市部と同じような子供達のスケジュールであることで、例え外遊びできる場所が近くにあったとしても公園で遊ぶということは殆どありません。
「生きる力」ってそもそも何?
・言われたことしか出来ないロボット人間を避けれる
・うつ病を避けられる
・奴隷サラリーマン以外の働き方を探せる
・人間はこの地球の自然とともに生きていると感じることが出来る
・人間の本質を考え、生きる意味を考えることが出来る
生きる力を持っていれば上記のことは出来るようになります。
大人になると嫌なものでも仕事だからやらなければならない。という強制力がどこかしら働いているものです。与えられた仕事は最初は大変ですが習慣化すると結構楽になって後に考える力が薄れていきます。仕事のスキルによって多少給料は変わりますが、最低賃金が法律で決まっているため適当にやっても給料はもらえます。そんな人生楽しいでしょうか。給料が貰えれば土日に楽しいことが出来るかもしれませんが、国民全体がそういう人達で溢れ、そこで落ち着いてしまった場合、誰がイノベーションを起こせるのでしょうか。どう成長していくのでしょうか。
大人ってかっこいいな、と思わせる社会ならそれは生きる力があると思っていいと思います。人間は本来、強制的に生きる力を学ばなければならないと外的要因でなされるものではありません。自然と身につけようとするものですが、その環境が整っていないため、生きる力をうまく学ぶことができなくなっているのです。
生きる力を失った日本は抜け殻と同じ
日本は悪平等(みんな平等という精神で結果的にみんな不幸になる)によって経済成長率は横ばいで、生産性も主要先進国に比べてもかなり低いです。
みんなで手をつないで徒競走やるのと同じで誰も1位にもならないし、誰も最下位はでてこない。今の生活に満足し、安定を求める。困ったときは国に頼って、またそれも平等を謳う。
日本という国はかなり末期です。
しかし、復活することは出来ると思っています。
このコロナ禍によるソーシャルディスタンスという言葉がだいぶ浸透してきたので、都市部へのこだわりや満員電車でオフィスに通勤という概念も徐々に変化すると思います。そうなれば一極集中の緩和でもう少し遊びのためのスペース確保の考えや計画も進むかもしれません。
外遊びスペースや習慣がなければ、日本の成長はない。
日本の成長は、子どもたちの生きる力の度合いに比例する。
私はそう確信しています。
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